『日本百名月』認定登録地

認定登録第37号 【種別:A類】

「竹田市・岡城・荒城の月」 (大分県竹田市)

国指定史跡岡城跡は大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する間の海抜325mの舌状台地上に築かれ、その広さは実面積で100万㎡、東京ドーム(46.755㎡)の22個分相当。川岸からそそり立つ姿は「難攻不落」と言われた天然の要塞だったことを今に伝える。


現存する城跡は、文禄3年(1594)に播州三木から入部した中川氏により拡張されたもので、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などの主な曲輪から成る。趣味人であった藩主は、城の北側にある絶壁を三日月型にくり抜き、その中に明かりを灯して、月のない夜も月見の宴を楽しんだという。明治4年の廃城令により城館は取り壊されたが、石垣が当時の姿をしのばせている。瀧廉太郎は少年時代を竹田で過ごし、荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、明治34年(1900)に中学校唱歌として「荒城の月」を作曲、発表している。城跡から望む月の輝きが石垣にうつる姿も優艶である。春の桜、秋の紅葉と四季折々に多くの観光客の目を楽しませている。

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